STELLA仮店舗☆はてなブログ

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「母べえ」に感じる苛立たしさ

以前、かの名作「火垂るの墓」に対し


「プライド優先して生きるために耐えることもせず、妹見殺しにしたバカ兄の話で、美談じゃねぇ」


という主旨で友人が感想を述べていて。
「ああ、まぁ確かにそう言われれば」と半分理解しつつ、腑に落ち無さも抱いていたのだけれど。


今日、地上波放送された「母べえ」を見て、その友人が「火垂るの墓」で感じた苛立たしさが理解できた気がした。



母べえ」の簡単なストーリーは、日中戦争に異を唱え、思想犯で特高に捕まった旦那を待ちつつ、戦争中の過酷な日々を娘2人を育てながら過ごす妻の吉永小百合
そんな家族を支える、美人の義妹(壇れい、ほんと美人だよねーw)に、吉永小百合に横恋慕する、旦那の教え子の書生の浅野忠信が織りなす人間模様なのだが。


まぁ、なんつーかとにかくエンディングで戦後、吉永小百合(ではないんだけど)演ずる年老いた「母べえ」が、無理難題の末期の言葉を残し、娘がどーしようもなく泣き崩れるっていう、全く救いの無いどん詰まりのエンディングを迎えるわけですが。
すでにして、このエンディングで「なんつー、後味の悪い映画だ」と嫌気がしていたところに、エンディングのスタッフロールに、結局は獄死した旦那が、生前に妻に送ったとおぼしき手紙の朗読がかぶるわけなんですが。


この旦那の手紙の、自分勝手なこと甚だしく。
おそらく監督はじめ、制作者側の意図はこの手紙をして「戦争、そしてそれが生み出した当たり前の家庭のささやかな幸せさえ封殺する空気」に対しての怒りを向けさせたかったのだろうが。


はっきり言って俺は「おめぇ、何言ってんだ?このバカ旦那が」
と、獄死した旦那に対する怒りしか沸いてこなかった。


カッコ良くいえば「主義主張を曲げずに貫いた」のだろうが、であるくせに、手紙では「家族の面倒みれず、すんまそん」的な事が、キザったらしく(この旦那は独文学者なのよ)書かれていて。
そんな「家長としての申し訳なさ」を思うのなら、「何故、意地はってんだ?」としか思わなかった。


実際、この旦那が釈放される余地はあり。
「思想をあらためました」的な申請書を書いて受理されれば釈放だったし。そのために元教え子の刑事やら、吉永小百合の父(地方の警察署長)までもが色々尽力しているのに、結局それらを一蹴している。


言ってしまえば「自らの主義主張」を優先して、家族を扶養するという家長としての責任を放棄してるんだよね。
別にそりゃあある意味立派なことだとは思うけどもさ。
なら、切々とわけわからん文学的修辞表現で「家族への申し訳なさと未練」とか語るんじゃねーよ。
そこまでの「想い」があるなら、折れて曲げてでも、家族を養うために生きればいいじゃんよ。



って、まぁそもそもこの映画、実話ベースで。
しかも実際には旦那は獄死せず、戦後に共産党入ってその後病死ってことで。
例えばこの映画だって、そういう史実通りの展開ならここまで苛立たしさも感じなかったのにね。


史実から、そこを歪めちゃったせいで、なんかおかしな事になってると思うんだ。
なんていうか「後味悪くて、バカな旦那のせいで吉永小百合がメタクソに苦労して報われない映画」って印象しか残らなかった。
「戦争の悲惨さ」ってものを描きたいんだろうけど、こういう部分の「あざとさ」がなんだか逆効果になっていて。
手放しに賛同できんよな、これじゃあ。


#あと義妹が「ヒロシマの実家に帰る」って言って「おいおい」と思ってたら、案の定、皆さん容易に想像つく通りの事になるんですよ。
 しかもそれは、劇中のモノローグで蛇足的に語られるだけで。そういうのも「なんだかなあ」と思っちゃったよ。